ジェーンの家系図
シーモアの家系は古く、11世紀ウィリアム征服王に従って英国に渡ったフランス貴族の血を引いていた。ジェーンはジョン・シーモア卿の9人の子のうちの3番目の子であったが、出生年についてははっきりしていない。
ヘンリー8世がジェーンに目を留めたのは、1535年9月ウィルトシャーにあるシーモア家の邸宅(ウルフホール邸)に泊まったときではないか、と言われている。その時、ヘンリーの接待に出たのがジェーンだった。
といっても初対面ではなく、すでにキャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリンの2人の王妃の元で、侍女として仕えた経歴があった。
ヘンリーとの仲が噂されるようになったのは、1536年の2月頃からである。
その年の1月、アンは流産をして気が立っており、ジェーンが国王から贈られたペンダントをしているのを見て逆上し、首から引ったくった、という。
アン・ブーリンが反逆罪で捕らえられた頃、ジェーンは実家のウルフホール邸に蟄居していた。
ヘンリーはアンの処刑の知らせを受け取ると、直ちにジェーンの元を訪れた。
5月30日シーモア家において、2人は密かに結婚式を挙げた。6月4日、正式にジェーンが王妃である宣言がなされた。
29日には、ジェーンはマーシー・ホールの窓辺に立ち、ロンドン市民に向かって初めて王妃として顔見せをした。
季節は夏だった。例年のごとくロンドンでは疫病が流行し、戴冠式どころではなかった。ヘンリーもまた前回の結婚で派手な戴冠式にはこりごりだったので、戴冠式も公式の結婚式も行われなかった。
自己顕示欲が強く、戴冠式を強く望んだアンに比べ、ジェーンは王妃であるだけで満足だったようである。
ジェーンはアンに虐待されていたメアリー王女にも優しく接し、王室に一時的な家庭らしさを取り戻した。また、ジェーンは宮中を華やかにすることを好んだ。残されたライル家の資料によると、ジェーンは高位の女官が真珠で飾られた胴衣を着るように言ったために、ライル夫人は実家に頼んで真珠を取り寄せようとした。
しかし120個もの真珠を揃える事はできなかった、という。
結婚から一年後、ジェーンが身ごもった。
「On 27 May 1537, Trinity Sunday, there was a Te Deum sung in St Paul's cathedral for joy at the queen's quickening of her child,
my lord chancellor, lord privy seal and various other lords and bishops being then present; themayor and aldermen with the best guilds of the city being there in their liveries, all giving laud and praise to God for joy about it
(The London chronicler Edward Hall /1537)
(1537年5月27日、聖三位一体の祝日、王妃が懐妊したという祝報に、セントポール
大聖堂において、大法官、王室紋章官、ギルドのトップの面々他貴族たちが出席して、
その喜びを祝い、神に感謝するために、デ・デウムが詠唱された。
チューダー王朝年代編纂者/エドワード・ホール/1537/著者訳)
1537年10月12日、聖エドワード祝日の前夜、ジェーンは難産の末、ハンプトン・コートで待望の王子を出産した。
洗礼式は3日後の夜、松明の灯りのもとで行われた。
ジェーンは・・といえば、ベッドで静養しているわけにいかなかった。
ヘンリー7世母后マーガレット・ボーフォートの決めたルールによれば、王妃たる者、すべての儀式に出席せねばならなかったのだ。
さすがに立って歩くわけにはいかなかったために、王家の紋章入りの赤いベルベットの毛皮で縁取られたソファに乗せられて、ハンプトン・コートの王室礼拝堂へと運ばれた。
皮肉にも、その式典にはトーマス・ブーリンとエリザベス王女が参列し、侮蔑と哀れみの視線を浴びていたという。
未明まで続いた儀式で疲れ切ったジェーンは、翌日から体調を崩した。
ひどい熱だった。だが医者は瀉血して、ワインとお菓子を与えただけだった。
出産から12日後の10月24日深夜、ジェーンは高熱のために息を引き取った。
深い悲しみの中、ジェーンの遺体は防腐処置され、11月12日まで安置された後、ウィンザー城の聖ジョーンズ・チャペルに葬られた。ヘンリー8世もまた、己の死後はジェーンの隣に葬られることを望んでやまなかった。
(新たな不死鳥を生むために死せる不死鳥ジェーン、ここに眠る。
この希なる鳥のために哀れみ給え/著者訳)
(ハンプトン・コートにあるヘンリー8世家族の肖像にあるジェーンの姿/ホルバイン作)
オリジナルが焼失してしまったので、現在は模写が飾られている
参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor World Leyla . J. Raymond
Tuder History Lara E. Eakins
The Tudors Petra Verhelst
薔薇の冠 石井美樹子著 朝日新聞社
英国王妃物語 森 護 三省堂選書